STORY1 出会い

トピアリーとの関わりが始まるストーリー

まだ多くの日本人女性が専業主婦だった時代。子育てや家庭と両立しながら、「好きなことで社会に貢献する」ことに挑戦したストーリーでもあります。


本場ディズニーランドでトピアリーに出合う


トピアリーを初めて見たのは短大時代に短期留学していたロサンゼルスのディズニーランド(Anaheim)でした。とはいえ、ちゃらい学生の宮崎、当時は植物に特別な興味もなく「なんじゃらほい」と近づき、「あらま!可愛い 本物の樹 夢の国にははいろんなものがあるし、アメリカってサプライズの国なんだなぁ」という印象でした。平日はUCLAの外国人語学クラスにいたので、観光できるのは週末だけでしたが、バイト代を貯めて渡った憧れの国「アメリカ」は夢を大きく膨らませてくれました。しかし、そこはスパッと割り切り損保会社に就職し、ほどなく寿退社。二人の天使にも恵まれました。


植物に関わる仕事復帰

天使たちが小学生になった頃、社会に出ないと!!と一念発起し、「やってみたいこと」を書き出してみました。インテリアコーディネーター、設計士、住宅展示場のパート社員、PCインストラクター、そして教師資格を取ったばかりのフラワーデザイナー。この紙をオットに見せると「これがいいんじゃない」と〇を入れたのが、フラワーデザイナーでした。当時、フラワーデザイナーで生計を立てていた女性は数えるほど。「税金を払うことができるオトナに戻りたい」と切望していた想いとかけ離れたオットの選択にがっかりしました。しかしながら、私にとって「家族をもちながら仕事をする女性」が理想でしたから、反対を押し切って進むわけにもいきません。元来能天気な宮崎。ふと「主婦でお花の先生が成功した例ってないな。そんじゃ私がなってみるか」と思い立ちました。


洋書でトピアリーと再会、再びディズニーランドへ

私はポプリの講師資格も持ち、ハーブの知識があったので、収穫したハーブの利用法を教える事が仕事となり、各地のハーブ園に伺う機会を得ました。この時に各地で目にした「捨てられる農産物」を造形に活かし、地域のお母さんたちの手で産地をPRしよう!と生まれたのが「アグリクラフト」です。「アグリクラフト」の活動は今も愛媛県西予市、新潟県新潟市で続いています。この頃は「ハーブ」も「海外から入ってきた珍しいもの」でしたので、情報収集のために洋書店に通いました。そこで「The New Topiary」という本に出合います。パラパラと項をめくると見覚えのある植物造形の写真が沢山!そう、学生だったあの日にAnaheimでみたトピアリーでした。  「思い立ったが吉日」の宮崎、「アグリクラフト」で貯めた資金を手に、翌年春にフロリダのディズニーランド、ディズニーワールドのトピアリーレクチャーに申し込み、「トピアリーを知る旅」に出かけていました。


すべての始まりとなった! 短期留学

映画が大好きで「ハリウッドを見てみたい」というミーハーな想いだけでアメリカを目指した短大の春休み。当時の渡航費はと〜っても高かったのですが、アメリカ本土の土を踏む事ができるなら!とバイトに励み実行。Santa Monicaのホームステイ先から毎日バスでUCLAに通い、週末は観光とあっという間の数週間でした。夏にはSanta Monicaのボーイスカウト一行が来日し、引率してきたホストファミリーと日本で再会し、翌年には担任だったMs.Geen Kが広島大学に招かれて京都で再会、と交流範囲も格段に広がりました。新婚旅行でホストファミリーに「里帰り」するとバーベキューでもてなしていただきました。日本の学会にも招かれるパパ(心臓外科医)と一緒に来日したホストマザーが面会の時間を作ってくれ、天使たちを抱っこしてくれたことも楽しい想い出です。トピアリーとの出会いもあったこの短期留学が人生の大きな転機となりました。